しつこいようですが、優越感に由来しない≪誇り≫ってありますか???と言いますのも、前回の質問で、≪誇る≫というのは優越感の表明に他ならず、ならば、かならず誰かを傷つけているのだ、と主張する私に対して、>例えば,スポーツ等で,全力を尽くして戦った相手との戦いに勝利し,>誇らしく思うと同時に,戦った相手と健闘たたえあうという場面はあるわけです。>もし必ず誇りが相手への蔑みにつながるのであれば,>ユニフォーム交換などはありえないわけです。誰もが感触として知るはずの運動競技のある種の清々しさを動員して≪誇り≫という現象の純度を証明したつもりになっておられるのですが、この理屈はごく初歩的な部分で決定的に間違っています。スポーツというのは決まった時間の内側で、決まったルールに則って、相手をどこまでもこてんぱんにやっつけて見せるシステムに他なりません。サッカーのチームは、90分間相手チームを全力で徹底的にやっつけようとするのです。90分間、優位性の誇示機会を与えられた者が、なぜ試合後に改めて優位性を誇示せねばならないのですか?それに比べると、こういう場合はどうでしょうか?一人の美人OLがいるとします。彼女はオフィスで最も美しく魅力的な女性です。しかし、彼女は公的には自らの美を誇る事は徹底的に禁じられる事となります(例えば社内美人コンテストなどという催しがあるとすれば別ですが)。そうするとこういう事が起こりえると思うんです。例えば彼女のようには美しくない同僚のOLがある日、自分の彼氏の写真をみんなに見せます。写真の彼氏は美男とは言い難いアキバさんです。美人OLは一瞬こみ上げてくる笑いを押しこらえるようにして『なんていうか、お似合いね』と薄笑いで醜男と醜女の交際を祝福します。彼女の表情から、彼女による優越感の常時温存は決定的だと思われます。こういった形の非公式による≪優越感の誇示≫は、誰の眼にも卑怯で残酷な蔑みだとして認識され得ます。しかし考えてもみて下さい。スポーツというのは、≪優越感の誇示≫を公式化しているわけです。だからOLの蔑みのように、非公式な差別として噴出してくるという事態を構造的に免れているのです。公式に相手を打ち負かしたのだから、そりゃユニフォームの交換くらいするでしょう。美人OLだって『あんたたちより私の方がずっと綺麗だわ』と公言する事を容認されれば、醜男と醜女の交際をこっそり笑ったりしないに違いありません。だからスポーツというシステムを参照する事で、≪誇り≫が優越感に由来し、他人を傷つけているという主張を崩す事など出来ないのです。
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